マイカー、大型テレビ、腕時計、ゲームにパソコン、自分専用の電話。今では当たり前のようにある時代だ。ひと昔前ならば手に入れるのが難しかったり、一家に一台しかなかったりしたことが普通であった。思い返してみれば今より不便な時代だったんだなと思う。
君たちは本当に若者なのか?
「生きている喜びを感じるのは、どんな時ですか?」
学生たちにこんな質問をしたのは、落語家である6代目桂文枝師匠です。
学生たちからは、こんな回答があったようです。
「おいしいものを食べた時」
「風呂に入ったとき」
「寝るとき」
「空気のいい所を散歩するとき」
これを読んで、皆さんはどう感じましたか? 『まるで老人並みの回答ではないか』と思われた方も多いのではないでしょうか。
確かに、人間が生きるうえで大切な事ではありますが、青春を謳歌する学生達ならば、もっと前向きで積極的な回答があってもよかったのではないでしょうか。
「君たちは本当に若者なのか?」と聞き返したくなる程です。
ひと昔前との違い
私のように50過ぎのオジサンも、たまには大学を出て直ぐの若者と一緒に同行営業することがあります。
私はそんな時、「休日は何をしているの?」とか「趣味や熱中していることは?」と質問する事があるのですが、その回答は。
「テレビを見ている」「ゲームをしている」など、ゆっくり過ごすと回答する人が殆どでした。
私が若いころは、休日ともなれば街に繰り出し、何か新しいものは無いかと必死で探索したものです。
お洒落にもずい分とお金をかけたし、お酒やタバコ、女遊びもしたものです。
今では使っている人もいないであろう、豪華なオーディオをローンで買ったり、スポーツカーを手に入れて足を固め峠を走りこんだのも懐かしい思い出です。携帯電はなんて夢のようなアイテムで手に入れるだけで大きな感動を得たもんです。
しかし、最近の子はマイカーも持たず、お酒もタバコも飲みません。女遊びに関しては、やっている人はいましたが、感覚が違うとはいえ、今の子はいったい何が楽しいのだろう?と心配したくなります。
でも、彼ら(彼女ら)には罪はないんだと思います。今の環境で生まれ育ってきたのだから仕方がありませんね。
私たちの若いころは、本当に何も持っていなかったし、与えられてもいませんでした。
その点、今の若者は生まれた時から携帯電話もあるし、家にTVも複数台あったり、おしゃれな服も身近で手に入れられますので、同じ物差しで比べる事はできませんが、少し残念に感じるのは私が年配だからでしょうか?
「当たり前」を放置すると、老いが早まる
「生きている喜びを感じるのは、どんな時ですか?」という質問に答えた学生たちは、私たちの世代と違い、何もかもが揃っており満たされている事が当たり前の生活になっています。
新しいものを手に入れる事や経験する事での感動や、感激を受ける対象が少なくなっている現在、どうしても老いが早まってしまうのではないでしょうか?
老けこまない方法とは?
もしも、そのまま生活を続けていれば、次第に感動する心も麻痺していき、一番楽しいはずの若者時代を楽しめないまま、年老いていく事になるでしょう。
では、どうしたら老けこまないのでしょう?
こたえは、「決してすぐに満足しない!」ことです。これは若者だけに言えることではなく、いつも知らない情報を求めたり、取り込みたいという欲求を持ち続けることで、新しい事やモノを取り入れた感動や感激を持続できると思います。
上手くやる事ばかり考えずに、何ごとも積極的に取り組む姿勢を保つことが、老けこまない秘訣となるでしょう。
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